言わずと知れた秋葉原の守り神、神田明神は、奈良時代の天平2年(730年)に出雲氏族の子孫、真神田臣(まかんだおみ)の一族によって創建されました。
そして元和2年(1616年)、江戸幕府により江戸城の表鬼門にあたる現在の地に遷され、庶民に至るまで多くの人々に崇敬されるようになったといいます。
「神田」という地名の由来には諸説ありますが、特に伊勢神宮の御戸代(みとしろ)、つまり神様の田んぼがあったことから「神田」となったという説が広く知られています。でも、もしそうであれば、「みとしろ」や「みくりや」と呼ばれていたはず。
それよりも「神田の明神様が祀られている場所」ということからその一帯を「神田(かんだ)」と呼ぶようになったと考える方が自然です。
戦後に神田区と麹町区が合併して千代田区になる際、名称が消えることを多くの住民が惜しんだというのも、明神様への愛着があったからかもしれません。現在、秋葉原界隈に「神田」を冠した地名が多くあるのは、行政がそういった人々の愛着に譲歩し、従来の地名に「神田」を付けたからだそうです。
現在の社殿は関東大震災で焼失した後、昭和9年(1934年)に再建されたもの。「神社は木造」という常識を打ち破り、耐震耐火構造の鉄骨鉄筋コンクリートで造営されました。そのおかげで、社殿は東京大空襲にも焼け落ちることはありませんでした。
戦火を耐え抜き、凛と建ち続ける明神様を見て、住民たちはどれほど心強かったことでしょう。秋葉原に戦後大きな市が立ち、やがて電気街として発展していったのはきっと偶然ではないはずです。
そして、戦後の秋葉原の発展を見守り続けた神田明神は、商売繁盛の神様、えびす様を祀っていたこともあり、いつしか「商売の神様」として知られるようになっていきました。
木造が常識だった時代に鉄骨鉄筋コンクリート造りを採用したことでも分かる通り、神田明神には「伝統はただ昔のままを引き継ぐことではなく、時代に合わせて更新していくもの」という考えが脈々と受け継がれています。
境内にある「銭形平次の碑」は小説の主人公が神田明神下に住んでいたという設定が縁となって建てられたものですが、架空の人物のものとあって、当時としてはかなり珍しいことだったといいます。
そう考えると、一見チャレンジングに見える人気アニメとのコラボやキャラクターの採用も時代に合わせた形で地域の人々を見守るという一貫した考え方によるものだということがわかりますね。
お守りも進化しています。PCやスマホ用のITお守はきっと情報漏洩からをあなたを守ってくれるはず。今はまだ珍しくても、ほんの数十年前にはなかった「交通安全」のお守りが今ではどの車にもぶら下がっているように、そのうち生活の中に溶け込んでいくでしょう。
電気の街からアニメ、アイドル、サバゲーまで、流行に街が塗り替わることなく、次々と新しいカルチャーを吸収する街、秋葉原。世界でも類を見ない特徴的な街がどうして生まれたのか、長年秋葉原を見続けてきたアキパススタッフも不思議に思っていましたが、それは柔軟で懐が深い明神様が見守ってくれているからかもしれない、と取材を通して初めて腑に落ちました。
秋葉原好きならぜひ一度足を運んでみてください。きっともっともっと秋葉原のことが好きになりますよ。
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そして!秋葉原を愛する人々のために作ったアキパスのことも明神様は見守ってくださっています。リリース後は社務所近くでチェックインができますので、ぜひ試してくださいね!
神田明神(神田神社)
東京都千代田区 外神田2-16-2
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