『ベンガル物語』スパイスが紡ぐ人と人の物語

皆さんは『カレーの歴史』をご存知でしょうか?

カレーは英語で「curry (カリー)」です。

その語源はインド南部の言葉でソースや汁という意味の「kari (カリ)」が訛ったと言われています。

18世紀頃、初代インド総督ヘイスティングスが、「kari (カリ)」にライスを付けて英国王室に紹介しました。当時、英国の支配地域は主食が米のベンガル地方がメインだったため、ご飯にスパイスの汁をかけて食べるスタイルでした。それをアレンジして完成したのが英国風の「curry (カリー)」です。

インドでのイギリスの大拠点はベンガル地方のカルカッタ
香辛料はヨーロッパで珍重されており貴重品だった

英国から日本に「curry (カリー)」が伝わったのは、日米修好通商条約が締結された翌年の安政6年(1859年)横浜港が開港した時だと言われています。そして明治4年(1871年)に、のちの物理学者である山川健次郎が米国留学に向かう船上で、日本人で初めてライスカレーに出会ったとされています。

横浜と同じくして開港した長崎と函館も異国情緒溢れる

そして明治5年(1872年)に出版された西洋料理の本ではライスカレーの調理法が紹介されました。またこの頃から洋食食堂が増え始め、明治10年(1877年)東京の『風月堂』にてライスカレーが登場しました。ちなみにもりそばが1杯1銭ほどだった当時、『風月堂』ではカレー1皿8銭で提供されていましたが大人気だったそうです。

また明治9年(1876年)に札幌農学校(現北海道大学)に教頭として着任したウイリアム・クラーク博士が生徒たちの体格の貧弱さを憂い、米飯偏重の食事からパン食への転換を提唱しましたが、ライスカレーだけは推奨しました。

その際のカレーの具は、札幌農学校ではもちろん北海道でも多く栽培されていたジャガイモ、人参、玉ねぎを使用しており、その後定番の具として定着したようです。

「Boys, be ambitious !」(少年よ大志を抱け)で有名なクラーク博士

カレーは肉や野菜など様々な食材が含まれ、さらに主食のご飯と一緒に摂取できるため栄養価が高く、大量調理が可能で集団食に向いていたために軍隊でも重宝されました。

明治6年(1873年)には、大日本帝国陸軍の将校生徒を養成する陸軍幼年学校において、土曜日の昼食にライスカレーが導入され、明治41年(1908年)には大日本帝国海軍においてもイギリス式のカレーが採用されました。また明治43年(1910年)には陸軍においても「兵食」として採用されました。そうして徴兵期間を終えて除隊した兵士達が、軍隊生活で食べたカレーライスを故郷に戻り作ったことも、カレーライスが広まる一因となりました。

その後、国産のカレー粉が登場し、さらに固形のカレールーも販売されるようになり、手軽にカレーライスを食べられるようになりました。

こうしてカレーライスは日本全国に広まり各地・各家庭で独自の進化を遂げ、現在では国民食として多くの日本人に親しまれています。

栄養価が高く皆に親しまれている最強の国民食

こうして国民食となったカレーですが、英国から伝わった欧風カレーが一般的でした。しかし昭和初期になるとインドからもカレーが伝わりました。

インドより亡命したラス・ビハリ・ボースにより伝えられた純印度式カリーを昭和2年(1927年)新宿『中村屋』が発売しました。日本で初めてカレーとライスを別盛りにして提供し、当時街の洋食屋のカレーが10銭から12銭程度でしたが、『中村屋』のカリーは80銭と高価にも関わらず飛ぶように売れたそうです。

昭和24年(1949年)には、ラス・ビハリ・ボースとも繋がりのあったA・M・ナイルが、銀座に日本初の本格インド料理店『ナイルレストラン』を開業しました。

こうして少しずつですがインド式カレーが日本で広まっていきました。

ルーとライスが別盛りなのはインドのカレーがルーツと言われている

『カレー専門店ベンガル(BENGAL)』は昭和48年(1973年)7月秋葉原で創業しました。

毎年夏には必ずインドでの食べ歩きを実践していた初代オーナーの笹本陽子氏は学生時代より香辛料を研究し、当時日本に数社しかなかった香辛料専門輸入商社に入社しました。そこで培ったスパイスの知識を元にサラッとした純インド風カレーを誕生させました。

笹本氏の情熱と思いが込められた『ベンガル』では、各国から集めた香辛料の中から上質なものを選び、さらに味の決め手となるカレー粉は特別にブレンドし、1~2年ねかせて使用しています。

開店当時は、「チキン骨付きカレーの辛口」のみのメニューでスタートしました。価格は1000円と当時にしてはとても高価でしたが、笹本氏のこだわりのおかげで今でも人気のメニューとなっています。

そして『カレー専門店ベンガル(BENGAL)』が創業して33年後の平成18年(2006年)に、二代目オーナーとして浅見文隆氏が引き継ぎました。

一番右が初代オーナーの笹本陽子氏
現在も人気のチキン骨付きカレーは1200円

浅見文隆氏は、大学時代から勤勉でチャレンジ精神旺盛な学生でした。

当時、周りに戦争している国がある中で、「日本だけこんなに平和でいいのか?」と疑念を抱いていました。そこで浅見氏は、誰も助けてくれないような全然知らない場所に行きたいと考え、大学を休学して留学することを決めました。どうしても映画で観た美しい風景が忘れられず、留学先はスイスに決定しました。

スイスではホテルマンの研修をすることにしました。ホテルマンになるつもりは全くありませんでしたが、日本ではレストランで長くアルバイトをしており接客が好きだった事と、スイスの地方での研修となるので周りに日本人がいないであろうと考えました。やるからには本気で学ぼうと覚悟を決めスイスに降り立ちました。

大学では英語とドイツ語を学んでいて語学には自信のあった浅見氏でしたが、世界中から集まってきている若者の中では言葉が通じず大変苦労しました。

田舎の高級ホテルで働きながらの研修では、辞書を片手に分からない言葉や教わった言葉を一所懸命に勉強しました。さらに浅見氏はクビになったら日本に帰らなければならないと背水の陣の思いで必死に働きました。そのおかげで凄腕の厳しいフロア長に認められ、お客様と接する姿勢などホテルマンとしての色んな技術を教えて貰いました。

スイスでの月日が経つと、様々な国から来た研修生との会話もスムーズになり仲良くなっていきました。しかし唯一仲良くならなかった人がいます。それは同じ日本から来た人でした。浅見氏はその日本人に初めて会った時に「大変申し訳ないのですが、自分に話しかけないでもらいたい。自分も本気で学びに来ているので、あなたに日本語で話しかけられると同じ日本人という甘えが出てしまうかも知れない。」とお願いし理解してもらいました。これには浅見氏の留学への本気度と真面目さが伺えます。

こうして浅見氏は自分を追い込み、本気で学びました。その結果、帰国後に日本の有名ホテルからスカウトされるほどでした。

また留学前からお付き合いしていた同級生の彼女が、お金を貯めてわざわざスイスまで会いに来てくれました。それに感動した浅見氏は「日本に帰ったら結婚しよう!」とプロポーズをし、それが浅見氏のさらに本気で学ぶ原動力になったのは想像に難くありません。 こうして浅見氏は留学を終え帰国し結婚しました。

映画『ボビー・ディアフィールド』でのシーンが印象的でスイスに留学を決めた

結婚し彼女と一緒に住むようになると早急にお金が必要になりました。浅見氏はアルバイト雑誌で必死に職を探し、洗剤配達のアルバイトを始めました。毎日重い洗剤を配達しに朝から晩まで都内を駆けずり回りました。すると何事にも一所懸命な性格が災いしてか、腰を壊し配達が出来なくなりました。それで会社の勧めもあり、営業として洗剤会社に就職することとなりました。

浅見氏にとって営業の仕事は初めてでしたが、楽しいだけではないが色んな人との出会いがあり大変勉強になったそうです。

そして数年後、浅見氏は自分の留学経験や語学力を活かすことができ、国際的な交流のある仕事をしたいと考え転職しました。それが、『ベンガル』初代オーナー笹本氏が働いていた会社の社長の息子が経営する香辛料貿易会社だったのです。

この貿易会社は、秋葉原の芳林小学校(現昌平小学校)前のビルにあり世界中の香辛料を扱っていました。香辛料については素人同然の浅見氏は、仕事前誰よりも早く出社する社長にお願いし勉強させて貰いました。また仕事後や仕事の休みも惜しみなく勉強に費やしました。一日も早く香辛料の種類や産出国や相場などを覚え一人前になる為でした。

このように勤勉で真面目な浅見氏を社長は度々『ベンガル』に連れて行きました。珍しいインド風のカレー。しかもなかなか簡単に食べられる値段ではなかったので、いつも楽しみにしていました。そして何度か通ううちにオーナーの笹本氏とも親しくなり、ランチタイムが忙しい時は親会社経由で呼び出されフロアを手伝うこととなり、ベンガルと浅見氏の関係はより深まって行きました。

このような関係は、様々な経緯を経て浅見氏が独立して香辛料貿易会社を起業してからも続きました。

起業した会社を成功させようと粉骨砕身で働いた日々のある時、笹本氏より引退を考えているので『ベンガル』を引き継いでほしいと打診されました。

しかし浅見氏は断ります。会社がようやく軌道に乗りつつあることと、秋葉原で一番歴史のあるカレーのお店を簡単には引き継げなかったのです。それでも約三年もの間、笹本氏より説得され続けました。 そしてとうとう浅見氏は覚悟を決め、平成18年(2006年)『カレー専門店ベンガル(BENGAL)』を引き継ぐこととなりました。

香辛料貿易会社時代の浅見氏
赤いテントが特徴的だった『ベンガル』旧店舗
テレビや雑誌で紹介され行列が絶えなかった

『ベンガル』を引き継いだ浅見氏は伝統を守りながらも新しさを取り入れていきました。その頃の一番人気メニューは「ビーフ角切りカレー辛口」でした。昼時には行列ができ、テレビや雑誌でも大きく取り上げられました。そして平成29年(2017年)8月にビルの老朽化に伴い一時閉店。そして平成30年(2018年)3月に旧店舗と同じ外神田3丁目に現店舗をオープンさせました。予定よりも時間がかかったのは、旧店舗と同じ外神田3丁目に拘ったからでした。神田明神の氏子は町会の絆が特に強く、お祭りや震災と何かあったときにはお互い助け合ってやってきました。初代オーナー笹本氏の時代からの絆があったからこそ、浅見氏は外神田3丁目で新店舗を探したのです。

現在の『ベンガル』は昌平橋通りにあります。中央通りの喧騒とは違い落ち着いた雰囲気です。

一番人気のビーフ角切りカレー1200円
現在の店舗は落ち着いた雰囲気

このコロナ禍で多くの飲食店が影響を受けました。『ベンガル』ももちろん例外ではありません。しかしチャレンジ精神旺盛な浅見氏はこのステイホーム環境にマッチした新商品を開発しました。ベンガルの冷凍カレーです。注文を頂いてから真空パックに詰め-20度以上で冷凍して2日程かけて作ります。自宅でも秋葉原『ベンガル』の味が楽しめます。

田舎の親が東京に遊びに来た時に『ベンガル』でカレー食べて美味しいと評判が良かったので送ってあげたいと、常連のお客さんにも好評です。

手軽に『ベンガル』の味を楽しめる
ご贈答にもオススメの冷凍カレーはこちらからどうぞ
https://bengalcurry.theshop.jp/

今や秋葉原やその周辺には多くのカレー専門店があり大きな盛り上がりをみせています。それは笹本氏のカレーに対する情熱と浅見氏が受け継ぎ守ってきた秋葉原最古のカレー専門店としての伝統から始まっているといっても過言ではありません。

半世紀を迎えた『カレー専門店ベンガル(BENGAL)』を、これからも秋葉原を愛するもの皆で応援していきたいと思います。

  

カレー専門店ベンガル(BENGAL)
東京都千代田区外神田3-6-1丸山ビル1F
営業時間 11:30~20:00
ラストオーダー 19:30
月曜日と木曜日は15時閉店


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  1. 2022年 7月 08日
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  2. 2022年 7月 08日
    トラックバック:『ベンガル物語』プロローグ

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